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西村京太郎と携帯電話  其の3 [西村京太郎]

 現在の携帯電話に近い約230gタイプが登場する作品はいつごろからなのであろう。
 1994年に実業之日本社から出版された「雲仙・長崎殺意の旅」では「・・ハンドバックから携帯電話を取り出してテーブルの上に置いた。・・」の記載がある。1993年7-12月に週刊現代に掲載された「諏訪・安曇野殺人ルート」では「・・十津川は水に濡れた携帯電話をポケットから取り出した。スイッチを入れると通じることがわかった。・・」と書かれている。最近は防水携帯が増えてきたが、当時はまだ携帯電話自体発売当初であり、水に濡れた携帯が通話できたことに十津川警部も感激したことだろう。
 1992年7月の講談社からだされた「五能線誘拐ルート」では、「・・携帯電話は全員に持たせた。たとえ一人になっても連絡ができるようにである。・・」と刑事に連絡用に持たせていることはわかる。その他、1992年4月オール読物の「謎と絶望の東北本線」には「・・はくつるとゆうづるには、電話がついていませんから、連絡用に、携帯電話を持たせて下さい。・・」や、1992年2-8月のアサヒ芸能の「スーパーとかち殺人事件」では「・・携帯電話を持ちだしてくると・・」との表現がある。残念ながらポケットに入るような代物かどうかの判断ができず、はっきりしているのは1993年が最初のようである。その後は数多くの小説に多様され、推理小説にはなくてはならない存在となっているのは、読者のみなさんもご存じの通りである。
 西村先生は、携帯電話との表現をされている小説が多いが、中には携帯と省略して表現されているものもある。たとえば1997年週刊テレビジョンに連載された「闇を引き継ぐ者」では「・・あなたの携帯ありますか?・・」との記載がある。会話のため、携帯との表現であってもおかしくない。1999年7月から週刊宝石に掲載された「京都駅殺人事件」では、「・・電話はやはり携帯で、京都市内からかけていることはわかったが・・」との表現使われている。このように時には携帯の表現もされている。
 さらに1999年にサービスが始まったi-モードが、2000年10月から女性自身に掲載された「愛の伝説釧路湿原」に「・・女の方はチャカチャカと携帯のi-モードを押し続けているし、・・」との表現で登場している。
 携帯電話にまつわる話はつきないが、いったんこの辺で閉じてみたいと思う。
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