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斎藤栄2 船舶電話 [斎藤栄]

 西村作品や山村作品ではお目にかかれなかった船舶電話が、斎藤氏の作品に登場する。最初に登場するのは1972年に発表された「Nの悲劇」。1973年11月にサンケイ出版で発行された「動く密室」(原題「フェリーKT79に何が起きた」)では内容がより詳しく記載されている。陸上の基地局と船舶との間を無線でつなぎ一般の加入電話との間で電話がかかるようになっているのだろう程度の知識しかなかったのだが、かなり詳しい描写がされている。例えば「・・壁掛式の船舶電話機が設置してあった。本体はかなり大きくちょうどホームテレフォンのそれと同じくらいだが、送受器をかける送受信部はトランジスター化された小型のものであった。一般のものと違っているのはAゾーン、Bゾーンを示す選局ボタンがあることと、通話圏外表示ランプなどがついている点である。・・」とわかり易く説明されている。さらに「・・超短波を使うため日本電信電話公社は・・日本船舶通信株式会社に委託している。・・」と記述され、船舶電話の利用できる海域図まで掲載されている。また、「・・一隻に二台の船舶電話というのはとても無理でしょう。なにしろ現在では申し込んでもつけてもらえない船が1500隻にもなっていると聞いていますからね。・・」と当時の状況が描写されている。現在では各個人が携帯電話を持ち、自由に海外にまで洋上から電話が出来る、隔世の感がある。1973年当時の加入電話数は約2400万件で、積滞数と呼ばれる新規に申込んだもののまだ設置されない電話が約160万件ある状態だった。このような状況では船舶電話を申込んでもすぐに設置されないのも仕方ない状況であったろう。当然携帯電話はまだで、1968年にポケットベルの提供が開始されていた。NTTドコモ歴史展示スクエアによれば、船舶電話は1953年に電電公社が開始した港湾電話サービスが最初で、1959年船舶電話の名称で統一され、日本全国の沿岸から50km以内の船舶間や加入電話との間で通話できるようになったとのこと。実際に読んだ斎藤栄長篇選集④(徳間書店刊)では、影山荘一さんが解説をされており、その中で「・・登場人物の横浜市港湾局の亀山港営部長がでてくるが、この・・港湾局港営部は斎藤氏が1958年から1964年までいた局である。・・」との記載があり、仕事上でも船舶電話に関連し、内容をご存じであったようだ。小説を書く上では調査をするのは当然だろうが、実際に関係していたのならより一層詳細な記述をすることができたであろう。ネット検索でも船舶電話について詳細に記載されているが、斎藤先生の小説中の解説はわかり易かった。
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