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森村誠一 「高層の死角」 [江戸川乱歩賞]

 2023年7月24日に森村誠一さんが90歳で亡くなった。第15回(1969年)江戸川乱歩賞の受賞作「高層の死角」を読み直してみた。1969年2月、110篇の中から候補作5篇に絞られ、賞を得たものだ。選評を読むと、候補作5篇のうちトリックに関しては抜群とのこと。ホテルマン時代の経験が大きく影響している。同時候補者の大谷羊一郎さんは翌1970年に「殺意の演奏」で第16回江戸川乱歩賞を受賞している。

 今は大きなホテルは安全性を考え、ほとんどがカードキーになっているが当時は鍵を使うのが当たり前。宿泊客のルームナンバーもフロントに聞けば教えてくれる時代だった。当然、携帯電話やFAXでの連絡はなく、手紙や公衆電話による連絡問合せが行われていた。現在の便利さとは大きく違う。

 どうしてもアリバイを崩せなかったが、最後には時間の壁を破ったのだが、そこには一度航空機で海外に出国して再度帰国するテクニックが使用されている。現在では5年10年の数次旅券は当たり前になったが、当時は特定の理由がないと数次旅券を持つことができなかったため、アリバイ崩しが難しかった。条件が合えば一般人でも数次旅券の利用が可能なことを見つけアリバイ崩しができた。そういえば、私も1968年米国に出かけたが、ビザとともに、1回渡航用の旅券で予防注射を受けてイエローカードを持って行ったのを思い出した。隔世の感がある。

 トリックとしてはよく考えられており、選評の先生方のご指摘はなるほど。

 森村誠一さんのご冥福をお祈りします。

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ワープロ 石堂淑朗 [石堂淑朗]

 今ではワープロというとワードなどのアプリのこと、と思われるかもしれないが、ワードプロセッサーの意味で使わせてもらう。ウイキペディアでもワードプロセッサーのことをワープロと表現していたため安堵している。

 ワープロが世に出て、庶民には手が届かなかった1970年代から、1980年代になると各社がコストダウンを図り5-6万円程度の機種も出だした。私も1986年にリコーの液晶で2行表示できるものを買ったのだが機種までは覚えていない。ただ、当時右手をケガしたため報告書を記載するために購入したのだが、左手の指で打って報告書ができるため、感激したのを覚えている。

 文筆業の人にとっては、文字は万年筆や鉛筆などで原稿用紙を前にして小説内容などを思い浮かべながら記載していくもので、文字を打つとはとんでもないと考えていたのではなかろうか。当時、父親も雑誌に随筆を記載していたが、文字は手書きでないと文章が浮かんでこない、と言っていた。字が汚くて編集者を困らせていたようだが。ワープロの結果を見せると便利だね、との回答だけだった記憶がある。英語はタイプが当たり前ではと言っても日本語はやはり手で書く習慣が身について変わらないようだった。

 1980年代にはいろんな小説家先生等が、ワープロに対する記載をしているが、最近、大島渚と「日本の夜と霧」や今村昌平と「黒い雨」の脚本などを一緒した、石堂淑朗さんのコラムを読んだ。中央公論、平成2年(1990年)8月号に記載の「ワープロ事始め」だ。字の汚さからワープロで清書する手法をとるとのこと。文字は変換してくれるが、手書きのようにこの単語は漢字でどう書くのか辞典で調べ、意味を確認したり周辺の単語を眺めるなどの事ができない。今は単語の意味も教えてくれるのだが。例えば「憂鬱」は変換すると出てくるが実際に書けるのか、確かに私も書けない。昔の人は、肉筆を書写することによって文章の裏側にあるものまで読み取ったのではあるまいか、との記述に対しては、もっともだと納得してしまう。

 ワープロ黎明期に使用を開始した脚本家など文書を創造する人たちにとっては抵抗がありながらも使用していったのだろう。「ワープロでは指を使っているとは言えない。ただ、キーにさわっているだけである。ワープロはわれわれの内なる生命力を弱めるのではないか。」と記載されている。何度でも書き直しができる便利な道具だが、私も、今でも作業のための手段の域を超えていないように思っている。この漢字はどう書くのか調べてから手で文字を記載する手間を省いて、創造性の世界に集中せよ、との事かもしれないが。この漢字や表現はどんな時に使用するのか、そんなのは基礎知識としてちゃんと勉強しておけ、それをわかったうえでワープロを使って小説を創造しろ、とでもいっているのではなかろうか。その点では、石堂淑朗さんの時代から変わっていないのではないか、と思うのだが。

タグ:石堂淑朗
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