吉村達也 「血洗島の惨劇」 [推理小説]
渋沢栄一で有名になっている埼玉県深谷市だが、この地を舞台にした小説を。
吉村達也がトクマノベルスで1995年に書き下ろした「血洗島の惨劇」。ワープロや携帯電話に関する記述があるのだが、血洗島(ちあらいじま)や手計(てばか)といった変わった地名が登場する。小説の中でも云われについての説明がされている。深谷市には、渋沢栄一が名付けたといわれる八基という地名もある。歴史を知らないと物騒と思われる地名もあるが、それぞれ意味があってつけられているため、地名を調べるのも楽しい。今はスマホなどで簡単に調べられるため、便利になった。小説には琥珀亭という喫茶店が登場する。血洗島交差点のそば。大河ドラマは終了するが、一万円札に登場する渋沢栄一、地元より日本と世界を見つめていた。
ポケットベル2 [推理小説]
国内で唯一サービスを続けていた東京テレメッセージがポケットベルのサービスを来年2019年9月で終了するとのこと。首都圏のみで1500人弱の利用者。頑張って維持していたなあ、まだ続いていたのかと思う反面、無くなると聞くと、また一つの歴史が終了していくのだなと、郷愁にかられる。1968年7月1日に日本電信電話公社が東京23区で開始して以来約50年の歴史に幕を閉じることになる。一般電話から携帯電話に移行していく中で単なる呼び出しから番号で相手にメッセージを伝達できる手段としてメールとは違う独得の発展をとげていった。1987年の数字表示により高校生を中心に画期的に拡大し、1995年には1千万台以上の契約数となる。PHSの台頭で双方向での連絡手段にまで成長させなかったことが衰退の原因のようだが。
気になったのでポケットベルの商標を調べてみた。大井電気株式会社が第2720385号で「POCKET/BELL」を登録している。ポケベルはポケットベルの略称のためか、さすがに商標登録されていない。大井電気は1963年4月に日本で初めてポケットベルを開発した会社だった。
ポケベルが登場する小説は山村美紗では1984年オール読物の「割りこんだ殺人」に、西村京太郎では1987年EQに掲載された「西鹿児島駅殺人事件」に登場する。これらでは直接犯罪への利用は無いが、斉藤栄にポケットベルを使った小説を見つけた。それはまた。
探偵小説と推理小説2 [推理小説]
探偵小説と推理小説 1 [推理小説]
「1973年版 推理小説年鑑 推理小説代表作選集」。1972年に発表された推理小説の中からピックアップされた14編が収録されている。当時の日本推理作家協会理事長の島田一男さんが「序」を担当されており、そちらが気になった。
「推理小説という言葉は故木々高太郎氏の作語である。戦後施行された当用漢字制には偵という字が含まれていなかったため、正式には探てい小説と書かねばならなかった。これではどうにも恰好が悪い。そこで木々氏の提唱により推理小説ということになった。しかし、どこか馴染めないし、抵抗を感じる言葉であった。現に、戦後の推理小説興隆の中心母体であった江戸川乱歩の会が組織化されたときも当用漢字を無視して、日本探偵作家クラブと名乗ったほどである。・・かつて乱歩先生は、―探偵小説は怪談からSFまでを含む―と云われたが、その言葉は推理小説にこそ当てはまるものであり、むしろオーソドックスな謎解き本位のいわゆる探偵小説は、推理小説の広い世界の一分野であるような感じを受けるようになった。・・」と記載されている。
違和感なく探偵小説の表現を使っていたのだが、そのような過去まで知らなかった。ネットで当用漢字について調べてみると、1946年に当用漢字が制定された時には、「偵」の字ははいっていなかった。1954年に国語審議会から当用漢字補正試案が出され当用漢字に追加すべき28字に「偵」が入っていたものの、結局は変更されず、1981年の当用漢字制定でやっと「偵」が当用漢字に追加された。なにげに使用している漢字にもこの様な変遷があり、木々高太郎さんが当用漢字まで考慮して推理小説の表現に決められたとは、そこまでは考えていなかった。今邑彩 1 ワープロ [推理小説]
鮎川哲也の作品から今邑彩につながった。鮎川哲也賞の前身である「鮎川哲也と13の謎」に1989年応募して「13番目の椅子」を受賞したのが今回話題にする「卍の殺人」だ。中公文庫版のあとがきには、一応デビュー作であること、手間暇かけて直すほどのマチガイではないのでそのままにしてあることなどが記載されている。時代背景は1988年ごろと考えるとのこと。
筆者によっては初版から版を重ねるにつれて内容を変更したり、時間を経て再販するときに出版する時代背景と一致するように修正する場合もあるとのこと。本作品では文庫版においても、初版と同じとのことで安心した。
基本、小説は書かれた時代を反映した文学だと思っている。筆者の考えや思いが入るため、執筆当時と一致はしなくてもいいはずだが、西村京太郎氏の小説のように、書かれた時代に使用された電話などの機器が推理に利用されるのは、読者としては読んでいてその時代に夢馳せることができ、読む楽しみが増える。
今回の小説では、「・・隆広が使っていたのはS社の比較的新型のパーソナルワープロで、ディスプレイが液晶ではなく、十二インチのCRTタイプのもの。」との記載がある。S社のワープロとなるとシャープのワープロを思い出す。当時は東芝のルポとともに、ワープ業界では2大横綱だった。両社とも当時の面影がないのは、平家物語を思い起こさせる。
シャープのワープロで12インチのCRTであればWD-652ではなかろうか。この機種は1988年度のグッドデザイン賞を受賞している。その後シャープは、自社の液晶技術を生かして表示への液晶導入を進めていく。一方の東芝は1983年にワープロJW-1Sでグッドデザイン賞を受賞し、その後もワープロでのグッドデザイン賞での常連会社だ。1988年当時は、まさか現在の両社の祇園精舎を想像だにしなかった。
小説への記載内容や時代から、いろいろなことにはせ参じることができる。これも小説を読む楽しみの一つではなかろうか。