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西村京太郎と携帯電話 其の1 [西村京太郎]

 三年近くの長きにわたって、休眠していた間に、どんどん時代が変化してしまった。
そろそろ再開をしたいと思うが、すぐに全開も難しいのでゆっくりエンジンをあげていきたいと思う。
 今回からは、電話など通信手段にまつわるものを取り上げる。

 まずは、携帯電話を考えてみたい。
 携帯電話の表現が出てくるのは、1990年8月から1991年9月にかけて週刊小説に連載された長編の「十津川警部・怒りの追跡」が最初だ。実際にはこの長編の後半部分に出てくるため1991年に記載されたものだろう。この小説では、清水刑事の死や十津川警部のアフリカでの生死のさまよいやテロなど内容も楽しめるものだが、携帯電話の初登場といった意味でも興味深い。この中では、「多分、携帯電話を使うものと思います。・・」「・・NTTに電話を掛け、江崎の持っている携帯電話のナンバーを調べて貰った。」などがでてくる。犯人が仲間通しの連絡に携帯電話を使用しその連絡手段を遮って犯人逮捕につなげるものだ。
 携帯電話サービスが始まったのは1987年4月からでその当時は約630gで体積も約500ccと大きなものだった。1991年4月からのムーバは現在の携帯電話に近い約230gとかなり小型軽量になった(NTTドコモ歴史展示スクエアHPより)。さて犯人が持っていた携帯電話は小型軽量のものだったのか約630gのタイプだったのか、読者の方で推理が必要となる。新しい連絡手段を西村先生は導入されたが、その記載時期が非常に微妙なのだ。

 もう一編、同時期に発表されたのが「越後会津殺人ルート」だ。1991年6月から11月に週刊現代に連載されたもので、十津川警部が亀井刑事に「・・念のために、携帯電話を持って行くよ。・・」と話をしている。警視庁でもついに連絡手段として携帯電話がデビューしたことになる。さすが警視庁、サービスが始まったばかりの新しい小型携帯電話を取り入れた、と感心した。ところが読み進むと、ちょっとそれが微妙になる。「・・「携帯電話を、持っていらっしゃるのね?」と、女は、ふと、眼を光らせて、十津川の、脇に置いてある携帯電話を見て、いった。・・・」の記載がある。
 1991年4月に発売された携帯電話はほぼ現在に近い大きさで重量も大きくても約230g、脇に置くような大きさではなく鞄や背広のポケットに入るはずだ。ところが、脇に置いてある、との記載から、1887年にサービスが開始された、とてもポケットに入りそうもない携帯電話と考えるのが妥当であろう。連続通話時間約60分では捜査に持っていってもあまり使用できない、便利になったといっても、まだまだ現在のようには行かない時代であった。

 実際は、西村先生に尋ねてみたいところだが?。
 話の展開ばかりでなく、このような点でも読者に推理思考を働かさせてもらえる。ますます楽しみが増えてくる。
はっきりしているのは、今の便利さは技術進歩の賜物、簡単に携帯で電話というには、まだまだ無理のある時代であった。今回はこのあたりで閉じることにしよう。
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