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化石 3  鮎川哲也1 [鮎川哲也]



 今回は化石をタイトルに有する推理小説として、鮎川哲也氏の「憎悪(ぞうお)の化石」を取り上げたい。この作品は1959年11月に「書下し長編推理小説シリーズ1」として講談社から刊行され、第13回(1960年)日本探偵作家クラブ賞を受賞したものだ。光文社文庫版に記載の山前譲さんの解説によれば、同時期に連載されていた「黒い白鳥」と共に日本探偵作家クラブ賞を受賞したとのことで、鬼貫警部シリーズの長篇第2作目。



本書で化石は、「・・奥さんを熱愛していた彼にしてみれば、瀬山にむける憎しみは、・・曾我の表現をかりるならば、それは憎悪の化石だというのだ。・・」との表現で登場する。どのような状況で化石の表現がされているのか、これでは理解出来ないだろう。時刻表の改正に伴う列車の運行時刻の変更を使ってのトリックにより殺人事件のアリバイが構成される。その事件に先立って発生した殺人事件が、妻を暴行された恨みによる犯行のため、殺害後白骨化した遺体から憎悪の化石との表現をしたものだろう。



広辞苑(第六版)で化石を調べると、「①地質時代の生命の記録の総称。②比喩的に、現在に残る古い物や制度。」との記載がある。本書での表現は、どうも地質時代とまではいかないようだ。



 
現在ではスマホで簡単に相手との電話や連絡をすることができるが、本作品が執筆された1959年当時では、電話をかけるだけでも大変な時代だった。当時の電話事情がわかる記載があり、「・・彼は東京まで電話をかけたいのだが、すぐに繋がるだろうかと訊ね、まだ直通になっていないから即時通話はできないというと、しぶい顔でうなずいた。・・」と、熱海から東京まででも直通では電話が出来なかった。実際には、大都市以外の市外電話はほとんど交換手呼び出し方式で、料金により普通、至急、特急の区別があり、特急でも1~2時間待ちが普通という状況だった。当時の電電公社では全国自動即時化などを目的にして、1953年から第1次5カ年計画を策定して、1959年に市外中継交換機の導入などを進めており、自動で相手につながる努力をしていたが、即時に情報交換できるツールとまではいかなかった。現在とは隔世の感があり、携帯電話の登場まではまだ技術の進歩を待たねばならなかった。
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